上京してからは「SuperFunkLive」に妻がMikiとして出演したり。
書いていたら懐かしくなった&妻自慢でこっそり載せておきます。https://www.youtube.com/watch?v=LfEkvkTes3Y
ユーザー様との交流もどんどんと増えていきました。
今でも交流させていただいている方が多く、貴重な出会いお店で沢山させていただきました。
そんな中、友人とベース用の機材を開発していこうとなり今は無きブランドが発足しました。そのブランドが始まってからです、裏で「サウンドで勝負、ガチの音判断」をとある方とやっておりました。
そう「ポングさん」です。真剣!次郎代!ジラウ場!!
ほとんど周りに喋っていませんでしたので、当時からこのことを知っていたのは妻だけなんじゃないかな。
実際にお邪魔させていただいてポングさんに試奏していただくと。。。。
ブンブン!バキバキ!lhんfぐsps~l;dfjfぐs「d’tk、dhしあs;’rk、dhそfs~dp;いdjrt’ぴhdfkl;な~sg
「反応遅いね」
「コンプ感強いね」
「ギターの方が合うよこれ」
「これは俺は使わないかな~」
厳しいお方でしたw
当時作っていたプリアンプといえば、「フルディスクリート」で「最高のパーツ」を使い、「超ワイドレンジ」に仕上げ、大きさは「2Uラック」に近いものでした。
抵抗は一本2000円近いものも、コンデンサもビンテージ品からオーディオに使う高級品、ポットも一個5000円以上するものや高級ロータリスイッチ&高級抵抗で作ったり、
トランジスタやFETはレアなもの、周波数レンジはDC付近から1Megあたりまで。
単線と撚線も使い分け、天板や足の金属も素材別に用意して、鉛や銅板、制振板を貼り付けてみたり、静電気対策やジャックに塗る謎の液体、波動が入った半田やビンテージ半田、いろんな事やってみました。
今考えれば「やっていることは確かに音は変化する。でも、違うちがう、そうじゃない」なんですけどね。
でも、当時考えていた「最高の音」を持って行ってますから、こちらも意地があります。
ガチンコでやっていたものですから、お互いに若く、意見が食い違い、ぶつけ合い、連絡は取らなくなりました(笑)
この時期よりはもう少し後だったかと思いますが、お店にも何度もお邪魔してプリアンプの試作機の試奏をお願いしておりました。私もほかのブランドにいましたから、これも周りにはほとんど喋っていないのです。
「上はいいんだけど、下が遅いよねー」
「PBだと良さが全然でないね」
「こんなイコライザだったら、もっと分かりやすく耳に来るところから上がるようにしたら?」
「フミ君の作るものは、いいとこまで行くんだけどまだまだだね」
なんて。
私が会話の流れで「電源ケーブルを変えてみましょう」と言っていまったばっかりに。。。。。。。。。。なんてこともありました。
お二方には自分のサウンドを構築していくうえで本当に大切なお言葉をたくさんいただきました。
ぶっちゃけてしまえば、当時所属していたブランドで作っていたサウンドやEQ、全体の回路設計は社内で開発していたというよりは、このお二方のからフィードバックいただいて仕事とは関係のないところで研究実験をし続けてできていったが正直な所です。
この流れで「Hooker」にもなっていない自分なりに作った試作品をご本人に弾いてもらうわけです。
若かりし日の私。。恥ずかしい。。。2011/11/21
続く
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